新ユニフォームお披露目に見る、ロナウド移籍の裏側(憶測。)

2008年、当時マンチェスター・ユナイテッドに所属していたクリスティアーノ・ロナウドが初めてバロンドールを受賞してから、メッシとふたりで「世界一」の称号を独占してきたこの10年間、サッカー界には大きな矛盾があった。ADIDASの顔のチーム、レアル・マドリードのエースがNIKEの看板選手のロナウドで、NIKEの顔のチーム、バルセロナのエースがADIDASの看板選手のメッシだった。これはサッカー広告やマーケティングの世界で大きな弊害であった。

弊害をわかりやすい例で説明すると、毎年のユニフォームお披露目ビジュアル。レアル・マドリードのセンターにはベイルか、ベンゼマ。バルセロナのセンターには昨年まではイニエスタかネイマール(今年からはコウチーニョ。)という具合に、自社の契約選手がセンターを飾り、メッシとロナウドの両エースは、その後方にいるOne of themという使い方にならざる得ない。言われてみれば、確かにという話ではあるかと思うが、勝手の悪かったこの10年であったのだ。
が、同時に、世界のスポーツアパレル業界を席巻する両者が、いいライバル関係を保つ理由としても存在しているかのようだった。(因みに、メッシは18歳のバルセロナデビュー当時、NIKEの選手だったが、その後間も無くADIDASにスイッチする。たらればであるが、しなければ、この世紀の矛盾は存在しなかった。)

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(逆に、PSGはブランドにとってとても勝手がいい例だ。ネイマール、カバーニ、ムベッペの3枚看板が、揃ってみんなNIKEだからである。)

そしてこの夏、サッカー界最大のニュースと言っても過言ではないのは、ロナウドのレアル退団・ユベントス移籍だろう。

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ここからは、大いに私の勝手な推測でしかないのだが、ADIDASが33歳になったロナウドの放出をペレス会長に度々促したというのは、なくはない話だろう。今年のレアルの新ユニフォーム (HOME) のお披露目は5月。撮影は遅くとも4月頃に行われたとすると、ADIDASは周到にレアルの若返りと、自社の契約選手“のみ”で固めることを狙っていたのではないか。(ユベントスも3シーズン前からADIDASになったが、プライオリティーから言えば、今年でサプライヤー20年目を迎えるレアルと比べる比ではない。)

事実、新ユニフォームを纏った選手は、ベンゼマ、ベイル、トニ・クロース、ナチョ、マルセロ、ルーカスバスケス、全員がADIDASの選手である。なにかと都合がいいのである。主力で違うのは、アセンシオと、モドリッチ(共にNIKE。)

アカデミー上がりでクラブの新しいアイドルになりつつあるアセンシオは残留が既定路線だが、いま降って湧いたように、モドリッチのインテル移籍が取り沙汰されている。未だ噂レベルだが、インテルにはクロアチア代表の同僚が数名いるので、なくはない話だ。そしてインテルはNIKE、こちらもサプライヤー契約20年目。

昨日発表になったレアルの真っ赤なサードユニフォームのお披露目イベントの写真を見ながら、そんな推測を巡らす火曜日であった。

11年ぶりに“若返り”は図られるのか、今年のバロンドールは12月に発表される。

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日本サッカー史上、初めて、世界の強豪相手に2点のリードをもった日

日本の2点目が、後半7分に決まった。
香川とのコンビネーションから、乾のコントロールシュートは完璧な弾道で、クルトワの指先のわずか先のゴールネットを揺らした。

2-0。呆然とするクルトワ、アザール、そしてマルティネス監督。

残り、38分。

ここから日本のサッカー史上、初めて、
「W杯で世界の強豪相手に2点リードする」という状況での戦いが始まった。

柴崎と乾は今大会、最大の収穫と言っていいだろう。スペインでのさらなる飛躍が期待される。

柴崎と乾は今大会、最大の収穫と言っていいだろう。スペインでのさらなる飛躍が期待される。

時計の針を1週間前に戻し、ポーランド戦。
賛否両論あった「ラスト10分のパス回し」だが、素晴らしい采配であった。
確かに、大きなリスクを伴う大博打であったが、突破の可能性が最も高いであろう方法に舵を取り、「長谷部投入」という明確なメッセージにより、選手がそれを完璧に遂行した。そして、日本は決勝トーナメントに進出した。

フランス vs アルゼンチンの一戦をご覧になった方は感じたと思うが、決勝トーナメントは全くの別物である。レベルが一段階も二段階も、一気に上がる。

もし決勝トーナメントに進出していなければ、今大会は(日本人が好きな)「惜しかったね」で終わってしまい、日本サッカーはまた"世界との真剣勝負"の舞台を経験できずに、これからの4年を手探りで過ごすことになっていた。(「ラスト10分のパス回し」を批判されていたにわかファンに問いたい、何が不満なんだと。)

今日、日本は"世界との真剣勝負"に挑んだ。

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ベルギーは、まさに黄金世代が熟したチームで、GKから、中盤、前線にまで、各ポジションに世界で5本の指に入る名手たちが揃う、ブラジルやフランスと同じく、今大会屈指の注目チームである。

両チームともベストメンバー。
前半は攻められながらも、効果的なカウンターで対抗し、日本の試合運びは予想以上に上々であった。

後半の立ち上がり3分。目の覚めるようなカウンターから、柴崎の正確無比なスルーパスが通ると、原口が右足を振り抜く。数秒後に原口は自陣ベンチめがけて歓喜の輪に走っていた。

その5分後、乾の2点目が決まった。完璧であった。

スコアボードは2-0。残り38分。

おそらく日本の選手、スタッフ、西野監督、誰も想定していなかった2点差リードが、後半10分を回る前に生まれたのだ。

得失点差の関係ない、1発勝負の決勝トーナメント。この2点差を守り抜くという判断もあったであろう。ただベンチは動かなかった。いや、3点目を取りにいこうと思ったのだろう。チームは前への推進力を維持していて、攻撃的な選手は変える必要がなかったからだ。

しかし3点目を取りに行くのか、試合を落ち着かせるのか ------------ ピッチでの試合の進め方は、多かれ少なかれ迷いがあったように見受けられた。サッカーとは面白いスポーツで、2点もリードがあるにも関わらず、その2点が気の緩みや迷いを助長することがあり「2-0が最も危ないスコア」と言ったりもする。

あとのなくなったベルギーベンチは、2枚の交代カードを切って、194cmの本来ボランチのフェライニをルカクの横に並ばせて、パワープレーに出てくる。この大会、初めてビハインドを背負ったベルギーのなりふり構わぬ策だった。日本の最終ラインはこれで190cmオーバーの超大型2トップを同時にケアしなければならず、2列目のアザールと、デ・ブライネも含め、圧倒的な「個」を擁するベルギー攻撃陣へのプレッシャーが時間とともに後手に回るようになってきた。

そして日本の2点目から17分後、1点を返された。この時点で残り20分。
まだ1点のリード。「守りきるんだ」、または「3点目を取りにいくんだ」、どちらの選択肢も当然あった。しかし、1失点したショックを引きずったまま、5分後にそのフェライニに打点の高い同点弾を決められた。

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本気になったベルギー、世界の底力を垣間見た瞬間であった。
と、同時に、日本サッカーの経験値があぶり出された瞬間にも思えた。

これまでのW杯で、強豪相手に1点のリードはあった。
2006年のブラジル戦での、玉田の先制点。(結果、1-4で敗戦。)
2014年のコートジボワール戦での、本田の先制点。(結果、1-2で敗戦。)

でも2点のリードは初めてだった。ましてや、想定"外"の残り38分。

一昨日のフランスは、4点目を奪って4-2の2点差とした時、残り20分。それ以降、完璧な試合運びを見せて試合を落ち着かせ、アルゼンチンを4-3で沈めた。

38分と、20分とでは、残り時間は当然違うものの、この試合運びが経験の差ではないだろうか。
これはチームとして、それぞれの選手に、そして監督に、経験の蓄積によりDNAレベルで擦り込まれていくようなものなのだろう。

日本の息の根を止めたベルギーの最後の完璧なカウンターは、きっと日本にとって次の4年への処方箋であり、
ベルギーに"奇跡的に"勝って、ベスト8に駒を進めて慢心するよりも良薬なのかもしれない。

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長谷部、長友、本田、岡崎、川島はこの大会を最後に代表引退するだろう。乾、香川も年齢的に4年後は厳しいだろう。2022年へのチームは、柴崎や大迫らを中心としたチームに一新されることになる。

世界の強豪国のそれと比べると、80年あまり後にプロサッカーリーグができたこの国が、彼らに追いつこうとすること自体、そもそも無理難題なことではあり、日本は未だ"発展途上国"である。そんな途上国にとっては少なくとも、今大会は4年前のブラジルで経験できなかったことを経験できた大会であった。

コロンビアにリベンジし、
アフリカ最強のセネガルと互角に戦い、
結果を最優先した采配を選択し、
世界の強豪相手に2点のリードをもてた。

 

大会前、自信を失い路頭に迷っていた日本サッカー界にとって、自分たちの全てを出し切った、実り多き大会だったのではないだろうか。
 

日本にとって、”初めて”のW杯。「個の経験」と「強い意志」。

大方の予想を覆し、「サランスクの小さな奇跡* 」を起こした日本は、アフリカ最強の呼び声高いセネガル相手に果敢に勝負を挑み、2-2で引き分けた。最後まで勝ち点3を狙いにいったチームの姿勢は、勇敢であった。

(*5/31の都内で行われたメンバー発表記者会見で、記者からの「マイアミの奇跡」になぞらえた質問に対し、西野監督は「初戦のコロンビアに対して日本代表チームが強く入っていく、そしてあのコロンビアを倒す。小さな奇跡かもしれないが、今はそういう気持ちを持ちたい」と答えていた。)

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結論から言うと、セネガル戦により今大会は日本にとって、"初めて"のW杯となった。

大会前、ロシアのTV局が年棒23億円の優勝請負人、名将ジョゼ·モウリーニョに大会の予想を聞いたインタビューがあった。決勝については、”バロンドール対決”さながらのアルゼンチン vs ポルトガルを(自国への期待も込めて)予想するわけだが、稀代のポルトガル人戦術家はグループステージのH組について、「拮抗している」と言い、1位突破に選んだのはセネガル。ちなみに2位予想はポーランドだった。

マネは先月のチャンピオンズリーグ決勝でのスコアラーで、クリバリの移籍金は約1億2000万ユーロ(約157億円)にも跳ね上がっており、レアルやマンU、チェルシーなどがこの夏の獲得を狙っている。ミランからのリースでトリノでプレーする早熟のニアンも、遅かれ早かれビッククラブから引き抜かれるだろう。

そう、セネガルは、日本の多くの(ワイドショー)メディアが紹介しているより、もっとずっと立派な強豪国である。少なくとも、日本がW杯でこれまで対戦したことのあるアフリカ勢、2010年に対戦したカメルーン、2014年に対戦したコートジボワール(ドログバは当時36歳)よりも、多くの若く優れたタレントを擁し、若干荒削り感はあるもののヨーロッパの強豪クラブが欲しがる逸材の揃ったメンバー構成であった。

現地時間午後3時、快晴のロシア第4の都市エカテリンブルクで、カウントダウンの大合唱から主審の乾いたホイッスルの音が鳴り響き、試合はキックオフした。デイゲーム特有の日向と日陰の線がピッチにくっきり入り、画面を通しても、日差しが厳しいのが見てとれた。

開始10分、セネガルは挨拶がわりに抜群の身体能力を見せてきた。画面奥、左サイドの背番号10、マネの1歩のワイドが広いランニングは脅威であり、降り注ぐ太陽光がそれを照らす姿は、まるでオンステージのようだった。

しかし15分あたりに、長友がセネガル選手の圧倒的なスピードとフィジカルについて行けず突破を許したのを最後に、状況は好転する。右の酒井宏樹、左の長友佑都ともに、セネガルの選手との間合いを掴み取ったのか、ある程度の距離を取りながら対応し、それ以降試合を通して彼らが突破された危ないシーンはほぼなかったと言っていい。(後半の2失点目は、マネは酒井とサイドライン際で対峙した際に、突破ではなく味方選手へのパスを選択した。)

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それは酒井宏樹がドイツでの4年の武者修行を経て、3年目を迎えるフランスのマルセイユでレギュラーを不動のものにした経験力に他ならない。フランスリーグには、(アフリカ系移民がフランス国内に多いということにも起因して)有望なアフリカ系出身の選手が山のようにゴロゴロいる。ちなみに今回のセネガルのメンバーのほとんどは、セネガル生まれながら、組織の規律を重んじるシセ監督の意図でフランス育ちのメンバーで構成されている。(セネガルは1800年代前半、フランスの植民地であった。)

酒井がドイツからフランスに渡った当時、マルセイユファンは「SAKAIは誰だ?」となったそうだが、今ではフランスメディアは「もしSAKAIがフランス人だったら、フランス代表に入っているだろう」と称している。

左の長友もそうだ。今年からトルコのガラタサライに身を移したとはいえ、セリエAで9シーズン闘った経験値は圧倒的である。彼は名門インテルのキャプテンマークも何度か巻いている。初戦のユベントス所属のグアドラードは、長友相手に何もできず、結果的にペケルマン監督は、前半20分過ぎに最初の交代カードを切るときに、何もできていないグアドラードを下げた。そしてこの日も、セネガルのスピードあふれる右サイドに、最終的には危ないシーンを作らせなかった。

日本の1点目のシーンは、スペインリーガエスパニョーラのヘタフェで奮闘し、バルセロナからの2ゴールも記憶に新しい、柴崎の精密なロングボールからだった。それをセネガル人を上回るような躍動感あるロングランで駆け上がってきた長友が巧みなタッチで収め、ドイツとスペインで計7シーズンを過ごしている乾が華麗に決めて見せた。決してもう若くもなくスペイン語が下手な乾 (30) に対し、現所属のエイバルよりも大きなクラブ、ベティスがお金を積んでも獲得を実現させた価値が、ここにある。

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思い返してほしい。

1998年は、3戦全敗。得点差よりもアルゼンチンと、クロアチアとの差は歴然だった。

2002年は、開催国シードでグループリーグに強豪国はいなかった。

2006年は、2敗1分。オーストラリア相手に、ラスト8分で3失点。絶対的支柱の中田は、大会後にスパイクを脱いだ。

2010年は、予想に反し大健闘したが、超守備的布陣が奪ったボールを本田めがけてロングボール一辺倒で、攻撃の形はほぼなかった。

記憶に新しい2014年は、屈辱だった。順風満帆な直前テストマッチの結果から、選手もメディアもファンも、自信満々·意気揚々と望んだW杯だったが、初戦のコートジボワール戦は後半からドログバが出てくるとその存在感に明らかに屈し、1-3の逆転負け。2戦目は後半30分過ぎから、ギリシャの1人退場による数的優位を生かさずにスコアレスドロー。3戦目は、岡崎の先制点がコロンビアを本気にさせ、ハメス·ロドリゲスが登場して勝負あり。

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この過去5大会の各試合を振り返ると、先制されると圧倒的に弱く(先制された7試合は全て勝利なし)、先制しても逆転されることも多く、試合の中で相手や状況に合わせてやり方を変えられた試合はないのではないか。言葉は悪いが、真正面から馬鹿正直にぶつかり、90分を通して戦えなかった。

しかし今回は違った。

大惨敗の2014年と、主軸メンバーはほぼ同じ。決定的に違うものは、あの時の屈辱の記憶と、この4年間の選手個々の経験値である。

私はこのセネガル戦が、日本が11人の世界レベルの相手と対等に戦えた、W杯で初めての試合だったと思う。

初戦のコロンビア戦は10人相手に助けられたが、このセネガル戦は、向こうも、こちらも、ベストメンバーで、点を取り合う互角の勝負。あわや逆転勝利。シセ監督に試合後「日本の方がいい試合をしていた。」と言わしめた。モウリーニョがこのグループで1位通過を予想した相手にだ。

ESPNの記者は「グループステージで最も楽しい試合」と称賛すれば、元アルゼンチン代表のソリンは「この試合を見ていなかったとしたら……フットボールのじつに興味深い一戦を見逃したことになるよ」とコメントし、元イタリア代表のデルピエロは「サムライは諦めない。日本対セネガルは最高に楽しいゲームだった!」と称えた。

こんな試合は、W杯で間違いなく初めてである。

1998年の念願の初出場から20年の時を経て、たどり着いたひとつの通過点。いや、これでやっとW杯出場国としてのスタートラインなのかもしれない。

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それを可能にしたのは、言うまでもなく、個々の選手達が欧州のトップリーグでの一定年数かけて得た「個の経験」の賜物である。(比較するのはナンセンスだが、韓国代表のDF登録のメンバーは自国のKリーグとJリーグの選手しかいない。ここまでの結果は2戦2敗。)そして4年前の屈辱から生まれた「強い意志」。

過去日本のベスト16での対戦国は、トルコ (2002年) とパラグアイ (2010年) 。グループリーグ敗退が決まった相手だが、FIFAランキング8位の"格上"ポーランドを沈めれば、日本が初めて決勝トーナメントで世界の本当の強豪国(イングランドかベルギー)と対戦することになる。

初出場から苦節20年、日本にとって、”初めて”のW杯。

結局は「個の経験」と「強い意志」に尽きるのである。サッカーやチームスポーツの枠を超え、強い組織は「強い個」の集団である。

さぁ木曜日が楽しみだ。