大方の予想を覆し、「サランスクの小さな奇跡* 」を起こした日本は、アフリカ最強の呼び声高いセネガル相手に果敢に勝負を挑み、2-2で引き分けた。最後まで勝ち点3を狙いにいったチームの姿勢は、勇敢であった。
(*5/31の都内で行われたメンバー発表記者会見で、記者からの「マイアミの奇跡」になぞらえた質問に対し、西野監督は「初戦のコロンビアに対して日本代表チームが強く入っていく、そしてあのコロンビアを倒す。小さな奇跡かもしれないが、今はそういう気持ちを持ちたい」と答えていた。)
結論から言うと、セネガル戦により今大会は日本にとって、"初めて"のW杯となった。
大会前、ロシアのTV局が年棒23億円の優勝請負人、名将ジョゼ·モウリーニョに大会の予想を聞いたインタビューがあった。決勝については、”バロンドール対決”さながらのアルゼンチン vs ポルトガルを(自国への期待も込めて)予想するわけだが、稀代のポルトガル人戦術家はグループステージのH組について、「拮抗している」と言い、1位突破に選んだのはセネガル。ちなみに2位予想はポーランドだった。
マネは先月のチャンピオンズリーグ決勝でのスコアラーで、クリバリの移籍金は約1億2000万ユーロ(約157億円)にも跳ね上がっており、レアルやマンU、チェルシーなどがこの夏の獲得を狙っている。ミランからのリースでトリノでプレーする早熟のニアンも、遅かれ早かれビッククラブから引き抜かれるだろう。
そう、セネガルは、日本の多くの(ワイドショー)メディアが紹介しているより、もっとずっと立派な強豪国である。少なくとも、日本がW杯でこれまで対戦したことのあるアフリカ勢、2010年に対戦したカメルーン、2014年に対戦したコートジボワール(ドログバは当時36歳)よりも、多くの若く優れたタレントを擁し、若干荒削り感はあるもののヨーロッパの強豪クラブが欲しがる逸材の揃ったメンバー構成であった。
現地時間午後3時、快晴のロシア第4の都市エカテリンブルクで、カウントダウンの大合唱から主審の乾いたホイッスルの音が鳴り響き、試合はキックオフした。デイゲーム特有の日向と日陰の線がピッチにくっきり入り、画面を通しても、日差しが厳しいのが見てとれた。
開始10分、セネガルは挨拶がわりに抜群の身体能力を見せてきた。画面奥、左サイドの背番号10、マネの1歩のワイドが広いランニングは脅威であり、降り注ぐ太陽光がそれを照らす姿は、まるでオンステージのようだった。
しかし15分あたりに、長友がセネガル選手の圧倒的なスピードとフィジカルについて行けず突破を許したのを最後に、状況は好転する。右の酒井宏樹、左の長友佑都ともに、セネガルの選手との間合いを掴み取ったのか、ある程度の距離を取りながら対応し、それ以降試合を通して彼らが突破された危ないシーンはほぼなかったと言っていい。(後半の2失点目は、マネは酒井とサイドライン際で対峙した際に、突破ではなく味方選手へのパスを選択した。)
それは酒井宏樹がドイツでの4年の武者修行を経て、3年目を迎えるフランスのマルセイユでレギュラーを不動のものにした経験力に他ならない。フランスリーグには、(アフリカ系移民がフランス国内に多いということにも起因して)有望なアフリカ系出身の選手が山のようにゴロゴロいる。ちなみに今回のセネガルのメンバーのほとんどは、セネガル生まれながら、組織の規律を重んじるシセ監督の意図でフランス育ちのメンバーで構成されている。(セネガルは1800年代前半、フランスの植民地であった。)
酒井がドイツからフランスに渡った当時、マルセイユファンは「SAKAIは誰だ?」となったそうだが、今ではフランスメディアは「もしSAKAIがフランス人だったら、フランス代表に入っているだろう」と称している。
左の長友もそうだ。今年からトルコのガラタサライに身を移したとはいえ、セリエAで9シーズン闘った経験値は圧倒的である。彼は名門インテルのキャプテンマークも何度か巻いている。初戦のユベントス所属のグアドラードは、長友相手に何もできず、結果的にペケルマン監督は、前半20分過ぎに最初の交代カードを切るときに、何もできていないグアドラードを下げた。そしてこの日も、セネガルのスピードあふれる右サイドに、最終的には危ないシーンを作らせなかった。
日本の1点目のシーンは、スペインリーガエスパニョーラのヘタフェで奮闘し、バルセロナからの2ゴールも記憶に新しい、柴崎の精密なロングボールからだった。それをセネガル人を上回るような躍動感あるロングランで駆け上がってきた長友が巧みなタッチで収め、ドイツとスペインで計7シーズンを過ごしている乾が華麗に決めて見せた。決してもう若くもなくスペイン語が下手な乾 (30) に対し、現所属のエイバルよりも大きなクラブ、ベティスがお金を積んでも獲得を実現させた価値が、ここにある。
思い返してほしい。
1998年は、3戦全敗。得点差よりもアルゼンチンと、クロアチアとの差は歴然だった。
2002年は、開催国シードでグループリーグに強豪国はいなかった。
2006年は、2敗1分。オーストラリア相手に、ラスト8分で3失点。絶対的支柱の中田は、大会後にスパイクを脱いだ。
2010年は、予想に反し大健闘したが、超守備的布陣が奪ったボールを本田めがけてロングボール一辺倒で、攻撃の形はほぼなかった。
記憶に新しい2014年は、屈辱だった。順風満帆な直前テストマッチの結果から、選手もメディアもファンも、自信満々·意気揚々と望んだW杯だったが、初戦のコートジボワール戦は後半からドログバが出てくるとその存在感に明らかに屈し、1-3の逆転負け。2戦目は後半30分過ぎから、ギリシャの1人退場による数的優位を生かさずにスコアレスドロー。3戦目は、岡崎の先制点がコロンビアを本気にさせ、ハメス·ロドリゲスが登場して勝負あり。
この過去5大会の各試合を振り返ると、先制されると圧倒的に弱く(先制された7試合は全て勝利なし)、先制しても逆転されることも多く、試合の中で相手や状況に合わせてやり方を変えられた試合はないのではないか。言葉は悪いが、真正面から馬鹿正直にぶつかり、90分を通して戦えなかった。
しかし今回は違った。
大惨敗の2014年と、主軸メンバーはほぼ同じ。決定的に違うものは、あの時の屈辱の記憶と、この4年間の選手個々の経験値である。
私はこのセネガル戦が、日本が11人の世界レベルの相手と対等に戦えた、W杯で初めての試合だったと思う。
初戦のコロンビア戦は10人相手に助けられたが、このセネガル戦は、向こうも、こちらも、ベストメンバーで、点を取り合う互角の勝負。あわや逆転勝利。シセ監督に試合後「日本の方がいい試合をしていた。」と言わしめた。モウリーニョがこのグループで1位通過を予想した相手にだ。
ESPNの記者は「グループステージで最も楽しい試合」と称賛すれば、元アルゼンチン代表のソリンは「この試合を見ていなかったとしたら……フットボールのじつに興味深い一戦を見逃したことになるよ」とコメントし、元イタリア代表のデルピエロは「サムライは諦めない。日本対セネガルは最高に楽しいゲームだった!」と称えた。
こんな試合は、W杯で間違いなく初めてである。
1998年の念願の初出場から20年の時を経て、たどり着いたひとつの通過点。いや、これでやっとW杯出場国としてのスタートラインなのかもしれない。
それを可能にしたのは、言うまでもなく、個々の選手達が欧州のトップリーグでの一定年数かけて得た「個の経験」の賜物である。(比較するのはナンセンスだが、韓国代表のDF登録のメンバーは自国のKリーグとJリーグの選手しかいない。ここまでの結果は2戦2敗。)そして4年前の屈辱から生まれた「強い意志」。
過去日本のベスト16での対戦国は、トルコ (2002年) とパラグアイ (2010年) 。グループリーグ敗退が決まった相手だが、FIFAランキング8位の"格上"ポーランドを沈めれば、日本が初めて決勝トーナメントで世界の本当の強豪国(イングランドかベルギー)と対戦することになる。
初出場から苦節20年、日本にとって、”初めて”のW杯。
結局は「個の経験」と「強い意志」に尽きるのである。サッカーやチームスポーツの枠を超え、強い組織は「強い個」の集団である。
さぁ木曜日が楽しみだ。