[この記事は、2010年12月23日に書いたものです。]
大切な皆様へ
どうもです。
突然ですが、ひとつご報告させてください。
私事で大変恐縮ですが、
来春より、Wieden+Kennedy Tokyoに行くことになりました。
え?と思った方々、いらっしゃると思いますので、簡単にご説明させて頂くと、
秋頃までは、平山や湯川が勤務している赤坂の広告屋さんで仕事をする予定でしたが、
9月末にW+Kからオファーを頂き、自分なりに考えて、全ての整理が終わって、
今日、休日でゆっくりできてるので(笑)、いまご報告させて頂きます。
僕との親しさや、それぞれの関係や、
(興味ある人はいないだろうけど)関心や、このページを見る時間も人夫々だと思うので、
以下、それぞれ、カテゴリー別に今回の件について、書くことにします。
だから「別に。」って場合は、ここまででOKです。結論だけ先書いたので。(笑)
まずは、最近、「結局、なにやってる人なの?」と聞いて頂くことや、
このページを見て頂いてくれてる中には、直接知らない方もいらっしゃると思いますので、
自分自身の説明からで失礼します。
(今更いーよって方、多数いらっしゃると思うので、絶賛、すっとばしてください。)
【おまえなにやってんの?】
いま、僕は慶應大学の大学院、メディアデザイン研究科という大学院にいます。
だから身分は学生です、(3月までは)映画¥1,500です。
地上デジタル放送化後、放送波をどのように利活用するか、ということと、
デジタルサイネージ、つまり電子看板と携帯電話のシームレスな連携を図る為の取組みを
それぞれ30社ずつと、総務省らと共に取り組んでいます。
たまに蓮舫さんに仕分けられたり、仕分けられそうになったりで、困ります。
【W+Kのこと】
Wieden+Kennedyは、アメリカのOregonに本社を置く、広告代理店です。
その他に、NY, Amsterdam, London, 上海、Delhi、São PauloとTokyoに、それぞれ支社があります。
そう説明するよりも、
” Just Do it. ” を作った会社と行ってほうが分かり易いかもしれません。
クリエイティブを得意とする広告代理店です。
(メディアバイイングの機能を持たないので、クリエイティブエージェンシーと言う人もいます。)
で、僕はTokyo支社で、昨年の9月から2ヶ月のインターンをして、
そのままフリーランスという契約で1年程、仕事をしています。今もです。
【僕とW+Kの出会い】
それは僕が大学3年生頃、毎日サッカーをやっていて、
将来どのような仕事をしたいかを具体的に考えていなかったころです。2007年です。
ただ、大学1年の時にあるキッカケでCMクリエイターという仕事に興味を持ちました。
それ以降、いまはなき『広告批評』という月刊誌を当時から好きで読んでいました。
それから2年後の2007年の8月、
毎月のようにとりあえず買ってみた、その月のその号は、表紙が真っ白でした。
ワイデン+ケネディ 25周年「the Voice and DNA of Wieden + Kennedy」特集号。
でも、僕はW+Kをその当時、知りませんでした。大学3年生の時。
だからその特集は、雑誌の真ん中から始まるのですが、
買って最初に読んだ時は、冒頭のページ(その前の月にどのような広告が行われたかの毎月恒例のまとめ記事)しか読みませんでした。
このCMはこの会社、この人が作ってるだぁ・・と、いつものように。
でも、きっと暇だったんでしょう、
2回目に読んだにその特集が始まるページまでめくったのです。それが出会いです。
そこには、僕が小学校の頃に部屋に貼っていた、NIKEのGood vs. Evilのポスターや、
Just do it. 、MJのJump man、NIKE JDI 東京、KUMON,
HONDA Impossible Dream, Coca-cola Happiness Factory・・
自分が影響を受けたり、かっこいいと思っていた数多くの広告のほとんどがありました。
そこで初めて、その全てをこの会社が作っていた事に気付いたのです。
で、かぶりつくように読みました。
でもどうやら新卒はとっていないし、サッカーばかりやっていた凡人の自分にとっては、
ここで働くことはあまりに非現実的でした。
一方で、いつか、この会社に入るためにはどうすればいいか・・
この日から考えるようになりました。
それもあって、ずっと僕は日本の広告代理店に行きたかったのです。(全てがそれだけではないですが、でもそうです。)
凡人でも修行を積めば、中途採用というチャンスがあるかもしれないと思ったからです。
【大学院から、インターン】
大学でサッカースパイクを脱いだ後、僕は大学院に行きました。
でも大学院に受かった後、就職という道もあったので行くか、行かないか、迷いました。
(学費高いし。笑 )
迷った末、最後の決め手のひとつには、
当時、W+Kのクリエイティブディレクターを務めていた佐藤澄子さんが授業を1コマ持っていたこともありました。
そんなことで、大学院に行き、放送波の利活用の取組みを進める一方で、
佐藤さんの授業をとっていたことがキッカケで、W+Kで2ヶ月の契約でインターンをやることになりました。それが2009年の9月です。
2ヶ月のインターンが終わった後も、
運良く、フリーランス(?)の契約で延長になりました。たまたま、チームやボスに恵まれたり、運が良かったんです。
それ以来、大学院の取組み(拠点が赤坂)と、W+K(六本木)の往復生活が始まりました。
【日本的就活】
でも当時の僕は、W+Kに新卒で行くとは思ってませんでしたし、前例がほとんどないので、
「就活したいので、2ヶ月休みます。」と言って、日本的就活を始めたわけです。
それが2010年の2月の中旬です。
そしてスニーカーから革靴に履き替えて、いくつか面接に行きました。
結果的にいくつかの候補の中から、自分のやりたい事と性格的に考えて、
平山と湯川と同じ会社がベストだろう思い、4月の頭にサインをしました。
で、「決まりました。」と報告して、5月の頭からW+Kに戻りました。
そうしてまた、大学院との二足の草鞋がリスタートしたのです。
【二者択一】
そんな毎日が続く中、9月中旬頃、W+Kからオファーがありました。
そんなオファーなんて立派なものじゃないかもしれませんが、でも一応、オファーです。
正直、迷いました。
「急に言われても迷う。。」というのが正直なところだったし、
迷いました。
でも幸せなことでした。
それはオファー云々もそうですが、
それ以上に、自分の将来や自分のやりたい事、もっと言えば自分自身について、
考える機会ができたことです。
そうして僕の中で最後に残った大切な事は、
1) 広告とファッションの中間地点にいること、カルチャーを仕掛けること
2) 英語のビジネス環境に挑戦する
だったわけです。
(これを見て、笑う人もいるかもしれませんが、正直な2つです。)
【自分】
4月に内定の取捨選択をしなければいけなかった時もそうですけど、今回はそれよりも特殊な時期だったこともあり、
本当に考え直す機会になりました。
確かに、人の意見は参考になります。
けれども自分の状況や立場、好きなコト、燃えるコト、やりたいコト、将来の夢・・
というのは、結局自分にしかわからないわけです。
従って、自分にとってのベストな判断は、自分にしかできないわけです。
その判断材料は、大抵の場合、自分の潜在的な、直感にも似たところに最も強いものが眠っているのだと、
僕は思います。思いました。
そういった僕なりの価値観から、この判断に至ったわけです。
だから当然、僕の判断を未熟と思うだろう先輩もいるし、賛成・共感しない人もいらっしゃいます。
(勿論、賛成、共感してくれる先輩もたくさんいてくださって有り難かった。)
以上、
当たり前の話でしたね、すんません。
ということで、僕は来春から、
Wieden + Kennedy Tokyoで働きます。
とはいえ、僕自身は、(皆さんもご存知のように)特別の才能や能力も大してない、
これまで通りの僕なので、
変わらずご贔屓のほど頂きたく、宜しくお願い致します。