テッパン男子を生んだ犯人は、i-mode。

[この記事は、2011年3月29日に書いたものです。]

今月頭、南米に飛び立つ前に、坂井直樹さんらと共にある人を囲んで夜メシを食った。
ある人とは、高城剛さん。

大震災の起こるちょうど1週間前だったが、
なにかそれを予想させるような・・刺激的な一時だった。

そんな会の中、
話は若者、特に男性が、なぜ均質化、単質化してしまったのか・・
という話で盛り上がった。

一昔前のロンゲ、金髪、ピアスの“三種の神器”はめっきり減り、
洋服もファストファッションを中心に均質化、
終いには若者が就職する仕組みも、年度も、動機も単質化している、いまの時代。

なんでだ、いつからだ、何がキッカケだ、犯人は誰だ・・

議論の末、
出てきたひとつの答えは、i-mode 。

90年代後半、携帯電話上でのWEBサービスを可能にした、
この画期的なガラパゴスアイデアは、日本人の生活を一変させた。

それまで会話で行っていたコミュニケーションがメールに置き換わり、
そのメールに絵文字で感情を可視化させて、
鍵、定期、金融・・国内での日常生活に必要な要素はほぼ全て
このプラットフォームに乗ったことはいまさら言うまでもない。

しかしそれが若者の
均質化を招いたのではないだろうか。

例えば学校で、
i-mode前のいじめは暴力だったが、i-mode後は陰湿的ないじめになった。
それまでなかった学校裏サイト、裏掲示板などが次々に誕生したのはその派生である。

実際に、あるアンケートによると、
裏掲示板などを使用した若者は多いのに対し、
殴り合いの喧嘩を一度も経験したことのない若者が多いという。

体温のあるリアルなコミュニケーションから、
画面を通した通信のコミュニケーションへの変化。

日本で最も普及しているSNS、mixiを匿名でやっている人が多く、
実名で登録するFacebookになかなか火がつかなかったのも、
これと無関係ではないはずだ。

一方の海外も、携帯電話の普及については同じであるが、
幸か不幸かimodeのような高機能携帯が普及しなかったことにより、
電話か、SMSのようなショートメッセージでのやりとりが続き、
結局はFace to Faceのコミュニケーションが日本に比べ減っていない。

このようにこの10年、日本独自で普及したi-modeで、
コミュニケーションをガンガンとっていた世代の若者は、
結果として価値観や感性の均質化、単質化されてしまったのではないか。

という論点である。



これを僕なりに解釈してみる。

ファッションやマーケティングの世界で、
昨年あたりに、「テッパン」という俗語が流行ったのは記憶に新しい。

実際に、若者向けのファッション誌の表紙には、
「テッパンコーデ」「テッパンアイテム」「テッパンジーンズ」・・と、
とにかくテッパン祭であった。

それは逆に言うと、これが正解です。
これをすれば(買えば)損はしません。
という提案であり、
そういった教科書通りのニーズや欲求が高かったことを意味している。
倹約志向の時代を映し出しているともいえる。

もちろん、いつの時代も誰しもが、損はしたくないものだが、
自分で考えたり、組み合わせたり、トライしたり・・という思考が
希薄になっているのであろう。

その大きな要因として、
ネットで評判の裏をとって、価格とスペックを比較して・・という利口的な思考が、
物心ついた時からネットやi-mode(ネットを閲覧可能なケータイ)によって備わっているからではないだろうか。

実際に見て、触って、感じるという本質的な思考の衰退である。

特にその傾向は男子に強いと思っていて、
原宿のファッション関係者らと意見交換をしても、
レディースと比べて、メンズは年々、売れるものと売れないものの差が顕著になってきているという。

 

名付けて、「テッパン男子」。

僕は大学まで体育会という村社会にいたこともあって、
良くも悪くも、目の前の損得勘定を考えずに、
言われたら、思ったら、「まずやってみる」という反射的行動が、幸か不幸か身体に染み付いている。

失敗や損をすることも多々あるが、
それは結果として、やってみると後々、自分の引き出しが増えたり、血となり骨となることを、
経験としてなんとなく分かっている。

その後、大学院へと進み、(僕よりも遥かに)優秀な同世代に囲まれた。
村社会で得たことの殆どは、大学院では何も役立たず、周りに歯が立たなかったが、
ただ、ひとつだけ大いに役立ったことがあった。

それは目の前の損得勘定をあまり考えなかったこと(考えられなかっただけかもしれないが)、
逆に言うと、損得勘定をあまりにも気にしてしまう人が多かったということである。

理由は分からないが実感として、その傾向は特に自分より下の世代に当てはまることが多い。

彼らは皆とても優秀で、物事の準備もとても周到である。
その点は自戒をこめて、見習わなければならないと思っているが、
準備や価値観があまりにも均質化しているのである。

それをやったら、受かりますか?
それを書けば、通りますか?
これをやったのに、バイト代も出ないんですか?
これは僕の周りとは違うんですが、合ってるんですか?

この類の質問やツッコミは、
この何年かで、数えきれないほど受けた。

因みに、そういう質問を受ける度に同じ解答をすることにしている。
「だったらやらなくてもいんじゃない。」と。



つまりこれらを纏めると、
温度感の低い通信のコミュニケーションを繰り返す事で、
本質的ではない経験が蓄積される。

すると、身をもって体験したり、経験することで培われる十人十色の価値観から、
数字で比較できる情報への依存により、効率的な思考へと変化し、
価値観や感性の均質化、単一化された若者が多く生まれているのではないか。

というひとつの解釈であり、
高城さんからの警笛であると、考える。


もちろん、数字やデータで比較することはとても、とても大事である。

実際に、僕は大学時代に、
日本代表のデータ分析をアマチュアで初めてチームに導入した身として、
その重要性は認識しているつもりだ。

しかしながら、それはひとつの判断材料であって、
いつの時代もベースとなる価値観や解釈は、体験や経験によって培われるべきである。

そうでなければ、物事の“本質”は分からないはずだと思うから。


情報やデバイスが増えたとしても、
それらはあくまでも判断の材料であって、自らの価値観や思考までもそれに振り回されてはいけない。
ということも改めて、この議論から考えさせられた。

特に、大震災で混乱している今だからこそ、
その意味するところは大きい。。

そして僕を含め、若者にこそ、それが問われている。


昔、とあるポットキャストで、

高城さんが
「最近、「◯◯のラーメン、めっちゃ美味いんですよー」というやつがいるんだけど、「それ、どんな味してたの?」と聞くと、「いや行ったことなくて、ネットに書いてあったんですけどね」っていうやつが多いんですよ、だから彼らのことを“情報デブ”って呼ぶことにしたんです。」と言っていた。

うん、まぁまさにそういうことですね。
長くなったけど。

P.S.
この場を借りて、場をセッティング頂いた坂井さんには感謝を申し上げたい。
ありがとうございました。

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