反骨心

[この記事は、2011年3月31日に書いたものです。]

ちょうど2年前と
同じコーヒーショップで、
同じカプチーノを飲みながら、
同じMac bookに向き合って、文字を叩いている。

そういえばここにあるメモパットも変わってないな。

物理的に当時と違うのは、
テーブルに置いてあるサングラスがレイバンからオークレーに変わっているくらいか。

ただ、自分自身は少し変われたかもしれない。
 

「サッカーもやってましたが、“こんなこと”もやってました。」

こう言いたかったから、僕は大学院に行った。

大学院に入る前、こんなに写真が好きになるとは思ってもいなかった。
大学院に入る前、放送波のデジタル化に没頭するなんて思ってもいなかった。
大学院に入る前、総務省に出向いて予算を取りに行くなんて思ってもいなかった。
大学院に入る前、六本木ヒルズや幕張メッセで講演するなんて思ってもいなかった。

でもよくわからないけどやっている、やってきた。
それが2年前に思っていた “こんなこと” だったのかは、わからない。

ただサッカーのグラウンドとは違うグラウンドを、
だいぶ走り込んだなぁ、というかんじ。


3月、南米に2週間行った。
労働者の怠慢で列車がストライキしているので、移動は全てバス。

どの移動も長時間で、ときには15時間を越えることもあったが、
バスから見える真っ青な空と、乾いた大地に照りつける太陽が眩しくて、
吹き抜ける風が心地よかった。

時折、雲の合間から虹が見えたりした。

果てしなく続く大地を眺めながら、自然とこの6年間を振り返っていた。

大した実績もなく、大学でサッカー部に入る時も、
日本代表が使っているサッカーのデータ分析を、アマチュアで初めて導入する時も、
スパイクを脱いだ後、大学院へ進学する時も、

節目節目で、いつも周りからの反対意見の多いほうを選択していたことに気付かされた。

無謀だ、前例がない、保障がない、何も分かっていない・・
反対意見を思い出すときりがない。笑ってしまう。

それでもそうしてきたのは、
自分の負けん気からくるものなのか、意地なのか、根拠のない自信なのか、
自己実現のためなのか、その全てなのか・・
自分でも定かじゃない。

よく言う「社会人」とはなんなのだろうか。
一応、僕は明日から「社会人」になるらしい。

よく責任が増えるとか、
よく学生とは全然違うとか、
言うけれど、

社会人と名乗る人よりよっぽど事に詳しいこともあったし、
社会人と名乗る人より一生懸命生きていると思ったこともあった。

なにより、「学生のころが一番楽しいよ。」という台詞が大嫌いだった。

お前が仕事楽しめてないからだろ。
なんでお金も自由もあるのに、学生の時よりつまらないんだよ?
なわけねーだろ。

これが「サッカーもやってましたが、“こんなこと”もやってました。」と
言いたかった理由である。

2007年の8月、
いつか絶対ここで働きたいと思う会社を見つけた。

でもだいぶ非現実的だった。

2009年の9月、
その会社でインターンを始めた。

でもインターン生の中で一番英語が出来なかった。

2009年の11月、
その会社のバイトになった。
その2ヶ月後、またバイトの契約が提示されて延長した。

でも正社員になれるとはまったく思ってなかった。

2010年の9月、
その会社からオファーがあった。

びっくりしたので、いろんな人に相談した。
反対意見のほうが多かった。
誰かは「それはおまえの将来の選択肢を狭める選択である」とすら言った。
だからさすがに少し悩んだ。

でも結局これまでと同じように、
反対意見の多い方を選んだ。

自分を信じた。



明日から、
いつもと同じシャツとパーカーに、紺に白いSWOOSHのスニーカーを履いて、
同じ席で、同じメールアドレスで、同じクライアントを担当して、
社会人となるらしい。

同期もいないし、だから入社式もないし、実感もさほどないけれど、
ひとつだけ決めていることがある。

何年経っても、「学生のころが一番楽しいよ。」なんて絶対言わない。

だって、「サッカーもやってましたが、“こんなこと”もやってました。」と
言えるようになったから。

さぁ行くよ、負けないよ。

この標識みたいにね、
前に進めない時は、横に行ったり、うねったり、寄り道したりしてでも、
前に行くよ。

明日は早速2つのミーティングがセットされている。

社会人、頑張ります。